阿波忌部氏と阿波和紙
——麁服から見る植物繊維文化のつながり
作成:藤森洋一、※本資料は、一般社団法人 阿波忌部麁服保存会・梯氏原稿を基底に、和紙研修会用資料として書き改めたものです。
1.この資料の目的
この資料は、阿波和紙の起源を阿波忌部氏に直接求めるものではありません。
しかし、阿波忌部氏が担った祭祀、麻、麁服、植物繊維加工の文化は、後の阿波における楮・雁皮・三椏を用いた和紙文化を理解するうえで、重要な背景となります。
阿波和紙は、植物から繊維を取り出し、水の中で整え、一枚の紙へと漉き上げる工芸です。一方、麁服は、麻を育て、繊維を取り、糸にし、布に織り、神前に捧げる祭祀(注1)の布です。
両者は同じものではありません。
しかし、自然の植物繊維を人の手で採り、晒し、整え、価値あるものへ高めるという点で、深いところでつながっています。
山崎忌部神社を訪れることは、阿波和紙を単なる紙づくりとしてではなく、阿波に根づいた植物繊維文化と手仕事の歴史の中で捉える入口になります。
2.山崎忌部神社と阿波忌部氏

山崎忌部神社は、徳島県吉野川市山川町にある古い神社です。
この神社は、古代の阿波地方、現在の徳島県に住んでいたとされる阿波忌部氏(注2)と深い関係を持っています。
忌部氏は、古代日本の朝廷において、神々に祈りを捧げる儀式、すなわち祭祀に必要な品々を調える役割を担った氏族です。布、木材、玉、祭具、繊維素材など、神に捧げるための清浄な品を準備する技術集団でもありました。
山崎忌部神社(図1)は、その阿波忌部氏の祖神とされる天日鷲命を祀る神社です。
平安時代にまとめられた『延喜式』(注3)に記される忌部神社に関係する神社とされ、古代から阿波国の重要な神社の一つと考えられています。『延喜式』は927年に完成した、古代国家の制度や祭祀を記した重要な書物です。
この神社を訪れることは、単に古い神社を見ることではありません。
阿波の地において、神への祈り、植物繊維、布づくり、紙づくり、そして手仕事の文化がどのように結びついてきたかを学ぶ入口になります。
阿波忌部氏はいつ頃から阿波に関わったのか
阿波忌部氏がいつ阿波に入ったのかを、文献だけで明確に定めることはできません。しかし、阿波忌部氏につながる植物繊維・祭祀の文化は、弥生時代後期から古墳時代前期、すなわち3〜4世紀頃には、吉野川流域を中心に形成されていたと考えられます。その後、古墳時代後期には、吉野川流域に有力な地域勢力が存在したことを示す考古資料として、忌部山古墳群などが知られています。ただし、これを阿波忌部氏そのものの墓と断定することはできず、阿波忌部氏との関係を考えるうえでの手がかりとして扱う必要があります。

徳島県立博物館の解説でも、忌部氏には、朝廷祭祀を担当した忌部氏と、王権に奉仕した職能集団としての地方忌部という二面があり、阿波忌部は後者の一例と説明されています。
つまり、阿波・讃岐・紀伊の忌部氏は、同じ天日鷲命を各地に祀った分社関係というより、中央祭祀を支える地方職能集団が、それぞれの職掌に応じた祖神を持ったものとして理解することができます。

左手には楮の枝
3.天日鷲命とは
天日鷲命(図3)は、「あめのひわしのみこと」と読みます。
阿波忌部氏の祖神とされる神です。
「鷲」という字が含まれるように、天日鷲命は、古代の神話的世界において、鳥や天空、祭祀、繊維文化と関係する神として語られてきました。
阿波忌部氏が祭祀に関わる氏族であり、とくに麻の布である麁服を調える役割を担ったとされることから、天日鷲命は、麻・織物・祭祀・ものづくりを結びつける神として理解することができます。
天日鷲命は、阿波忌部氏の祖神とされる神です。
この神は、麻や布、祭祀、そして自然素材を使った手仕事の文化を象徴する存在として、この地域で大切にされてきました。
4.麁服とは
麁服(注4)は、「あらたえ」と読みます。
大麻の繊維を用いて織られる、神聖な布です。
ここでいう大麻は、現代の薬物としての大麻ではありません。
古代から日本で衣服、縄、祭具、神社の注連縄(しめなわ)などに使われてきた、繊維植物としての麻です。
麁服は、新しい天皇が即位した後に一代に一度だけ行われる大嘗祭で、神々に供えられる特別な布です。
大嘗祭では、新しく収穫された米などを神々に供え、国家の安寧と豊かな実りを祈ります。その中で麁服は、麻を育て、繊維を取り、糸にし、布に織り上げ、神前に捧げるという一連の手仕事を象徴する供物です。
麁服は、単なる織物ではありません。
自然の植物を人の手で清め、整え、神聖なものへ高める日本の古い文化を表しています。
麁服は、現在では大嘗祭に供えられる麻の神聖な布として説明されます。ただし、阿波忌部氏の伝承における植物繊維文化は、麻だけに限られていたわけではありません。『古語拾遺』には、天日鷲命の子孫が木綿および麻を作り、布を織ったとする記述があります。ここでいう木綿は、現代の綿花による木綿ではなく、楮・穀などの樹皮繊維に関わる古代の繊維素材を指す場合があります。したがって、麁服そのものは麻の布と説明するのが適切ですが、その背景には、麻・木綿・楮・穀など、広い植物繊維を扱う阿波忌部氏の職能文化があったと考えることができます。
なお、近代には麁妙・麁服の原料をめぐって異なる考証もありました。斎藤普春は麁妙の原料を穀と考えましたが、大正大嘗祭の考証では麻とされ、以後の大嘗祭でも大麻による麁服調進が行われてきました。
5.大嘗祭と阿波忌部氏
大嘗祭(図4)は、新しい天皇が即位した後に一度だけ行われる、皇室にとって非常に重要な祭祀です。
その起源は、毎年秋に新しい穀物を神々に供える新嘗祭(注5)と関係があると考えられています。

古代から、この大嘗祭に必要な品々を調える氏族の一つが忌部氏でした。
その中でも、阿波、現在の徳島県に関係する阿波忌部氏は、麁服を調える役割を担ったと伝えられています。
このことは、阿波の地域文化が、古代日本の国家的な祭祀と深く結びついていたことを示しています。
つまり阿波は、単なる地方ではなく、植物繊維を扱う高度な技術と、神に捧げる手仕事の文化を持った地域として位置づけることができます。

6.麻植郡と植物繊維の文化
山崎忌部神社のある地域は、古くは麻植郡(注6)と呼ばれました。
「麻植」という地名には、「麻を植える」(図5)という文字が含まれています。
もちろん、地名の由来を単純に現在の意味だけで説明することは慎重でなければなりません。
しかし、少なくともこの地域が、古くから麻や植物繊維の文化と深い関係を持つ地域として語られてきたことは確かです。
麻は、布や縄、祭具の素材でした。
そして、麻や楮、雁皮などの植物繊維は、やがて紙の原料としても重要な役割を果たします。
このように見ると、麻植郡という地域名は、阿波の植物繊維文化を考えるうえで、大切な手がかりになります。
7.阿波和紙との関連
麻・雁皮・楮から見る初期の紙づくり
阿波和紙を理解するうえで、山崎忌部神社や麁服の文化は、重要な導入になります。
ただし、ここで注意すべきことは、阿波忌部氏が直接に阿波和紙を生み出した、という意味ではないという点です。
阿波忌部氏が担ったのは、麻を育て、繊維を取り、糸にし、布に織り、神に捧げるという祭祀と手仕事の文化でした。
一方、阿波和紙は、楮、雁皮、三椏などの植物から繊維を取り出し、水の中で整え、一枚の紙に漉き上げる文化です。
麁服は麻の布です。
阿波和紙は楮や雁皮などから作られる紙です。
両者は、素材も用途も異なります。
しかし、どちらも自然の植物繊維を人の手で加工し、清め、整え、信仰、生活、記録、芸術に役立つものへ高めるという点で共通しています。
この意味で、山崎忌部神社と麁服の文化は、阿波和紙の直接の起源というよりも、阿波に古くから根づいた植物繊維文化の前史として位置づけることができます。
8.正倉院文書と初期の紙
奈良時代の正倉院には、多くの文書や経典、紙に関する資料が残されています。これらは、日本の初期の紙づくりを知るうえで非常に重要です。
ここに、麁服の文化と阿波和紙の文化をつなぐ大切な視点があります。
どちらも、自然素材をそのまま使うのではありません。
育てる、採る、晒す、ほぐす、整える、形にするという長い工程を経て、人間の生活や信仰に必要なものへ変えていきます。
正倉院に伝わる古い紙には、楮だけでなく、麻や雁皮に関係する紙も見られます。
研究では、正倉院文書や経典の料紙について、布、穀皮、麻、斐皮、苦参などの原料処理が、実際の紙づくりと関係していたことが指摘されています。ここでいう穀皮は楮、斐皮は雁皮にあたると理解されています。
また、古代の紙では、麻、楮、雁皮などを単独で用いるだけでなく、混ぜて漉くこともありました。後世の和紙のように、「楮紙」「雁皮紙」と明確に分かれる前の段階では、複数の繊維を組み合わせることも、初期の紙づくりの特徴であったと考えられます。
特に麻は、古代紙の重要な原料でした。
麻の繊維は長く丈夫ですが、処理が難しく、紙にすると硬くなりやすい性質があります。
一方、雁皮は繊維が細かく、光沢があり、緻密で美しい紙を作ることができます。
楮は、麻に比べて加工しやすく、強くて扱いやすいため、次第に日本の和紙の中心的な原料になっていきました。
この流れは、紙づくりの技術が、麻を含む初期の植物繊維利用から、楮を中心とする和紙へ発展していった過程として説明することができます。
9.斐麻・斐皮と阿波・讃岐からの貢納
古代の記録には、紙の原料として各地から朝廷へ納められた物品が見られます。その中には、阿波や讃岐から、紙の原料に関係するものが貢納されていたことを示す記録があります。ただし、阿波・讃岐から斐紙麻が貢納されたことを示す記録は、平安時代に編纂された『延喜式』に見えるものであり、3〜4世紀の出来事を直接示すものではありません。
ここで注意すべき点は、古代文献に出てくる「麻」という字が、現在の大麻だけを意味するとは限らないということです。
古代の文献では、「麻」が紙の原料や繊維素材を広く指す場合があります。正倉院関係の研究でも、「麻」という字が、必ずしも現在の「あさ」だけではなく、紙料を含む広い意味で使われることがあると指摘されています。
また、古代の文献には「斐紙麻」などの表記が見られます。
斐は雁皮を指すとされ、斐紙麻は、雁皮紙またはその原料に関係する言葉として理解できます。
阿波国や讃岐国に関する記載も確認されており、阿波・讃岐が古代の紙料供給地として関係していたことがうかがえます。
この点は、阿波和紙の歴史を説明するうえで重要です。
阿波では、後世に楮を中心とした和紙づくりが発展しますが、その前史として、麻や雁皮などの植物繊維を扱う古い文化が存在していたと考えることができます。
10.まとめ ー 阿波和紙へつながる紙づくりの流れ
山崎忌部神社を訪れることは、単に古い神社を見ることではありません。
そこには、阿波忌部氏、天日鷲命、麁服、大嘗祭、麻植郡という、阿波の古い植物繊維文化を考えるための手がかりがあります。
麁服は、麻を神に捧げる布へと高める文化です。
阿波和紙は、楮・雁皮・三椏を、生活・記録・芸術を支える紙へと高める文化です。
両者は同じものではありません。
しかし、自然の植物繊維を人の手で育て、採り、晒し、整え、価値あるものへ変えていくという点で、深いところでつながっています。
阿波和紙も、この大きな流れの中にあります。
阿波では、楮を中心にしながら、雁皮を用いた美しい紙や、用途に応じたさまざまな和紙が作られてきました。
つまり、阿波和紙は突然生まれたものではありません。
その背景には、
麻を神聖な布にする麁服の文化、
雁皮や楮を紙にする古代の紙料文化、
阿波忌部氏に代表される植物繊維を扱う技術と信仰
が重なっています。
阿波和紙を学ぶことは、一枚の紙の作り方を学ぶだけではありません。
それは、阿波の地に古くから続く植物繊維、祭祀、手仕事、そして現代の工芸へと続く長い文化の流れを学ぶことでもあります。
【参考資料】
(一社)阿波忌部麁服保存会 梯氏原稿を補講
阿波の手漉和紙:宇山清人著
注釈:Wikipedia
古代料紙論ノート、湯山賢一著
阿波学会研究紀要、郷土研究発表会紀要第30号:青木幾男
阿波忌部の世界 徳島県立博物館
阿波の太布 徳島県郷土文化会館
[注]
注1 祭祀(さいし)とは、神や祖先をまつる儀式(祭典、祭事)のことです。特に神道においては、神々に供え物をして祈る形式的な行為を指し、お墓参りや仏壇の供養、宮中祭祀なども含まれます。
注2 阿波忌部氏、忌部氏のち斎部氏(いんべうじ)は、古代朝廷における祭祀を担った氏族。天太玉命を祖とする流れと、天日鷲命を祖とする流れ(阿波忌部)、天道根命を祖とする流れ(紀伊忌部、讃岐忌部)の三種が有名で、いずれも神別(天神)に分類される。これは、各地の忌部が同じ一神を祀ったというよりも、中央祭祀に必要な繊維・木工・建築・玉作・金工などの職能集団が、神話的な系譜の中に整理されたものと見ることができます。
注3 延喜式(えんぎしき)は、平安時代中期に編纂された、律令制の施行細則(式)をまとめた全50巻の法典です。
注4 麁服とは、天皇の即位後最初の大嘗祭で神々へ捧げられる麻の織物のことです。絹の繪服と対になる。
注5 新嘗祭(にいなめさい/しんじょうさい)は、毎年11月23日に宮中や全国の神社で行われる、その年の収穫(特に米)に感謝し、翌年の豊作を祈る神事です。天皇陛下が新穀を神々に奉り、自らも召し上がる最も神聖な祭典であり、1948年以降は「勤労感謝の日」として祝日になっています。
注6 麻植郡(おえぐん)は、徳島県北部に存在した歴史的な行政区画(郡)です。2004年の平成の大合併により大部分が現在の吉野川市となり、美馬市木屋平地区を含んでいた地域です。古代に阿波忌部氏がこの地で麻を植え、朝廷に「麁服(あらたえ)」を献上したことに由来する
