あいだに立つ木― 山と人のあいだ ―
【プロローグ】
切り株から芽が出る
その春、私は立ち尽くした。
一昨年、刈り取った雁皮の株から、芽が吹いていた。
ひとつではない。数十本。
地上には何もなかったはずだ。深く根だけが、土の中に残っていた。
それでも、芽は出る。
私はその前にしゃがみ込み、しばらく動けなかった。
もし、これが続くのなら。もし、刈っても芽が出るのなら。
雁皮は、なくならない。
問題は、木ではない。関わり方だ。
その瞬間から、この物語は始まった。
(切り株から出た数十本の芽)
第一章 雁皮紙という肌
山の話をしているうちに、紙そのものを語らずに来てしまった。
だが、雁皮を追う理由は、一枚の紙にある。
雁皮紙は、触れるとわかる。
人の肌に似ている。
ざらりとした楮紙とは違う。冷たい洋紙とも違う。
指先を滑らせると、きめの細かな、ほのかなぬくもりがある。
硬くはない。柔らかすぎもしない。
静かに、手を受け止める。
それはまるで、長い時間を含んだ布のようでもある。
光にかざすと、わずかに透ける。
繊維が緻密に絡み合い、均一なのに、どこか有機的だ。
そして筆を置く。細筆で、ゆっくりと。
墨はにじみすぎず、止まりすぎない。
線が紙の上を滑る。筆の運びが、そのまま生きる。
強く押せば応え、軽く払えば、そっと受け流す。
雁皮紙は、筆と対話する。
その上で書かれた文字は、かすかに声を持つ。
乾いたとき、紙がわずかに鳴る。
ぱり、と。
それは決して荒々しい音ではない。
どこか、甲高い女の笑い声のように、すっと耳に残る。
あの音を知ると、ほかの紙では物足りなくなる。
雁皮紙は、ただの素材ではない。
肌であり、声であり、時間である。
山で芽吹き、四年、五年を過ごし、刈られ、剥がれ、蒸され、
水に溶き、漉かれ、乾く。
そのすべてが、あのきめの細かさになる。
だから私は、切り株の芽を見たとき、紙の未来を見た気がした。
山が続けば、あの肌も続く。 あのかすかな音も、続く。
(山の斜面(花崗岩土質))
第二章 山に入る人の記憶
「ひよ、取りに行くぞ。」 そう言われて、子どものころ山に入ったという人がいる。
雁皮は「ひよ」や「ひぼ」と呼ばれていた。紙の木、という呼び名もあった。
秋から冬にかけて、空気が澄み、虫が減るころ、山に入る。
背丈ほどに伸びた雁皮を見つけるには、目が要る。
ただ歩いていても見つからない。
桜のような肌。二股に分かれる枝。やや小ぶりの葉。
慣れた人は、立ち止まりもしない。
すっと近づき、刈り取り、その場で皮を剥ぐ。
原木のままではかさばるからだ。
剥いだ皮だけを束ね、背負って帰る。
一日に五キロ、よくて八キロ。
「たいした金にはならん。」
七十代の採取者は、そう言って笑った。それでも山に入った。
そこには、山と暮らしがつながっていた時代の記憶がある。
いま、その山に入る人はほとんどいない。
危険も多い。急斜面、落石、マムシ、ダニ。夏には熊の話も聞く。
そして何より、労力に見合わない。
雁皮が減ったのではない。山に入る理由が減ったのだ。
山の技術は、静かに消えつつある。
(採取者の手(顔は写さなくてよい))
第三章 山が選ぶ場所
雁皮は、どこにでもあるわけではない。
それを知るまでに、ずいぶん歩いた。
尾根を越え、斜面を下り、何も見つからずに戻る日もあった。
山は、簡単には教えてくれない。
やがて、少しずつ分かってきた。
花崗岩の土。風化して、ざらりと崩れやすい真砂土。足を置くと、すっと沈む。
標高は四百から六百メートルあたり。あまり高すぎてもいけない。
低すぎても違う。
森の奥深くではなく、光が差し込む雑木林の縁。ときには山道の脇。
周囲にはシダが広がり、春には姫ツツジが淡い花をつける。
雁皮は、密集しない。
ぽつり。
また少し離れて、ぽつり。
森の主役ではない。だが、確かにそこにいる。
桜に似た肌をした幹。枝は二股に分かれ、まっすぐに伸びる。
見慣れれば、遠くからでも分かる。
知らなければ、目の前にあっても通り過ぎる。
雁皮は、山が選んだ場所に生きている。
水が多すぎてもいけない。土が重すぎてもいけない。
暗すぎても、深すぎてもいけない。
光と土と傾斜の、微妙な均衡の上に立っている。
だから、刈り尽くされることはない。だから、畑のように揃ってはくれない。
山は、雁皮をばらまく。人が探し、見つけ、関わることを前提に。
山は、木を育てるだけではない。
距離も育てる。
簡単に取れない場所に、あえて生やしているかのように。
雁皮を探すということは、山の条件を読むことだった。
山が「ここだ」と言っている場所を、見抜けるかどうか。
それは知識ではなく、繰り返し歩いた足の記憶だった。
第四章 蒸してみるという冒険
雁皮は、生のまま剥ぐのが習わしだった。
寒い時期、木が水を上げるころ。両手でねじるようにして剥ぐ。
だが、どうしても内皮が木質部に残る。白く透明な繊維が、糸のように絡みつく。
「もったいない。」そう思った。
楮は蒸してから剥ぐ。ならば、雁皮も蒸せないだろうか。
九十五度。およそ一時間。山の木を、蒸気の中に預ける。
蒸気が立ちのぼる箱の中で、雁皮は熱を受ける。
楮のような甘い香りではない。少し薬品のような匂いが漂う。
取り出してみる。
太い根元に刃を当て、剥き口をつくる。
木質部を一人が持ち、皮をもう一人が持つ。
引く。するり、と剥ける。
思っていたよりも、軽い。
木質部に残る繊維は少ない。
剥ぎやすい。作業は早い。
「いけるかもしれない。」
それは小さな実験だった。
だが、雁皮の扱い方が変わるかもしれない瞬間だった。
伝統は守るものだが、試してはいけないわけではない。
山の木と、蒸気の箱。その間に、新しい可能性が生まれた。
(蒸気の立つ蒸し箱)
第五章 切り株の春
山には、答えを急がない時間が流れている。
一昨年、雁皮を刈り取ったあと、私は切り株をしばらく見つめていた。
根は残っている。けれど地上には、もう何もない。
この株は、どうなるのだろう。
そんな思いが、どこかにあった。
冬が過ぎ、山に柔らかな光が戻るころ、畑に移した株の様子を見に行った。
そこに、芽が出ていた。小さな、しかし確かな緑。
一本ではなかった。数本でもなかった。数十本。
まるで、切られたことへの応答のようだった。
失われた分を取り戻そうとするかのように、芽は四方に伸びている。
私はしゃがみ込み、一本ずつ数えた。
山の木は、黙っているようでいて、実は強い。
だが、このままではいけない。芽が多すぎる。
密集すれば、互いに競り合い、細く弱くなってしまう。
人が関わらなければ、自然は時に過剰になる。
そこで、選ぶことにした。
残すのは二本。あとは刈り取った。
小さな間引きだった。
切るたびに、少し迷いもあった。
だが、循環を考えるなら必要な作業だった。
その年の夏は、厳しかった。
雨は少なく、日差しは強い。
山も畑も、葉を焼かれるような暑さだった。
それでも、残した二本は生き残った。
細い幹は太さを増し、葉は大きくなり、風に揺れている。
あの切り株から出た芽が、若木になろうとしている。
四、五年後には、また刈り取れるだろう。
刈る。芽が出る。選ぶ。育つ。また刈る。
それは、農業とは少し違う。
畑に種をまき、収穫する循環ではない。
山の中に根を残し、時間を味方にする循環だ。
雁皮は、ただの野生でもない。
放っておけば雑木に埋もれる。
刈り尽くせば消える。
だが、根を残し、芽を選び、周期を待てば、持続する。
山は、更新する力を持っている。
人がすべきことは、それを邪魔しないことかもしれない。
私は、あの芽吹きを忘れない。
切られた株から芽が出るという事実は、理屈よりも強い。
雁皮は、失われたのではない。
関わりを忘れられただけかもしれない。
(間引き後の二本の若木)
第六章 山はまだある
「もう雁皮はないんでしょう。」
そう言われることがある。
山に入る人が減り、和紙を漉く人も少なくなり、材料も不足していると聞けば、
そう思うのも無理はない。
けれど、山はある。
春、若葉のころに歩けば、光の差す斜面に、桜に似た肌の幹が立っている。
花崗岩の崩れやすい土。
標高四百から六百メートル。
シダの群れ、姫ツツジの白い花。
条件がそろえば、雁皮は静かに生きている。
密集してはいない。森の主役でもない。
だが、消えてはいない。
山は、まだある。
では、なぜ足りないのか。
一日に採れるのは五キロから八キロ。
重労働で、危険もある。値は高くない。
山に入る理由が、薄くなった。
昔は違った。
山は生活の延長だった。
薪を取り、山菜を摘み、木を刈り、その流れの中に雁皮もあった。
いま山は、遠い。
所有の境界がはっきりし、入会の慣習は消え、
「他人の山に入る」ことは慎重になった。
雁皮は、山の奥にあるのではない。
社会の変化の中に取り残されている。
私は山を歩きながら考える。
雁皮が減ったのではない。
山と人の距離が広がったのだ。
芽は出る。根は残る。循環する力はある。
だが、それを見に行く人が少ない。
山はまだある。
問いは、私たちがそこへ戻るのかどうかだ。
(雁皮の自然生育風景(遠景))
第七章 半分だけ、人の手を入れる
山は、完全な自然ではない。
かつては薪を取り、炭を焼き、草を刈り、人が入り続けていた。
人の気配が消えた森は、静かだが、どこか閉じている。
雁皮もまた、完全な野生ではなかったのかもしれない。
刈られ、芽吹き、また刈られ、芽吹く。
その繰り返しの中で、人とともに生きてきた。
一昨年刈り取った株から、春に数十本の芽が出た。
多すぎる芽を二本に絞った。
それは自然を操作することではない。
自然の力を、整えることだ。
放置ではなく、支配でもない。
半分だけ、人の手を入れる。
それだけで、循環は続く。
四年、五年待てば、また刈れる。
急がない。取り尽くさない。
少しだけ関わり、あとは山の時間に委ねる。
それが、雁皮の育ち方なのだと、あの芽吹きが教えてくれた。
(若木の全体像(翌年成長))
第八章 山と紙のあいだ
紙は、工房で生まれる。
だが、紙のはじまりは山にある。
繊維をほぐし、水に溶き、漉き上げる。
その白い一枚の背後に、四年、五年の時間がある。
切り株から芽が出て、間引かれ、暑さを越え、幹が太くなる。
山の時間が、紙の強さになる。
雁皮紙は美しい。
薄く、強く、光を含む。
だが、その美しさは、山の循環のかたちでもある。
山が続けば、紙も続く。
紙が求められれば、山へ戻る理由も生まれる。
雁皮は絶滅寸前の木ではない。
関係が薄れただけの木だ。
山は、まだある。
芽は、まだ出る。
あとは、距離を縮めるだけだ。
【エピローグ】
切り株を見つめながら
春、あの株の前に立つ。
二本の若木が風に揺れている。
四年後、また刈るだろう。
そして、また芽が出るだろう。
その繰り返しが、この山のリズムになる。
紙は一枚で終わらない。
山も、一度で終わらない。
切り株から芽が出る。
それだけで、未来を信じる理由になる。
(風に揺れる二本)

