華林製紙工房遺跡から読み解く古代製紙技術(第3回)―紙薬(ネリ)はいつ成立したのか―
はじめに
前回は、華林製紙工房遺跡の発掘成果から、原料処理から抄紙・乾燥までの製紙工程全体を再構成しました。その結果、この遺跡が高度に設計された生産システムであったことが見えてきました。
今回は、その中でも特に重要な「抄紙工程」に注目し、紙薬(ネリ)と呼ばれる植物性粘剤の役割について考えます。
考古学資料・文献・実際の紙漉きの経験をあわせて考えることで、紙薬の意味を改めて見直してみます。
1.遺跡から見える「設計された製紙工場」
華林製紙工房遺跡には、水碓(すいし)、浸漬坑、灰坑、抄紙房、乾燥施設などが確認されています。一見するとバラバラに配置されているように見えますが、水の流れと地形に沿って整理してみると、はっきりとした流れが見えてきます。
- 上流:原料を浸す場所
- 中流:水碓で繊維を叩解
- 下流:抄紙・排水・乾燥

つまり、工程が上から下へと連続するように設計されているのです。これは単なる作業場ではなく、「効率よく紙を作るために設計された工場」と考えるべきでしょう。
2.紙薬はどこで使われていたのか
この遺跡で特に注目されるのが、抄紙房の近くにある「紙薬関連施設」です。発掘では、陶製容器の設置跡が確認されており、「紙薬鍋」と解釈されています。ただしここで注意が必要です。中国語の「锅(鍋)」は必ずしも加熱用とは限らず、単に液体を入れる容器を指す場合もあります。
さらに、この施設が抄紙池のすぐ近くにあることから考えると、原料処理ではなく、抄紙直前の工程に関係する装置と考える方が自然です。日本の手漉き和紙でも、ネリは煮るのではなく、水中で揉んで抽出します。そのため、この施設は植物から粘液を取り出す場所、抄紙用の液を調整する槽である可能性が高いと考えられます。
3.紙薬の本当の役割
紙薬は単なる「補助材料」ではありません。その役割をシンプルに言うと、水の中で繊維をコントロールするための技術です。ネリがない場合、繊維はすぐに沈んでしまい、厚さがバラバラになる、ムラが出るといった問題が起こります。
一方、ネリを入れると繊維がゆっくり沈む、水中で均一に広がる、流れに対して安定するという状態になります。
その結果、簀(す)の操作によって均一な紙が作れるようになります。つまりネリは、紙を「きれいに作るため」ではなく
そもそも「紙を作れる状態にする」技術なのです。
4.文献と遺跡のズレ
中国の技術書である『天工開物』には製紙工程が記されていますが、紙薬についての説明はあまり詳しくありません。しかし、華林遺跡では、紙薬関連施設が抄紙工程の中心にあるという事実が確認されています。
これは重要なポイントです。つまり、文献では軽く書かれている、実際の現場では極めて重要というズレがあるのです。現場の技術は、必ずしも文章には残らないことを示しています。
5.日本の和紙技術との関係
これまで、日本の和紙におけるネリの使用は「日本独自の発展」と説明されることが多くありました。しかし、この遺跡の発見は、その見方を見直すきっかけになります。すでに中国でも* ネリを使う抄紙技術が体系的に存在していた可能性があるからです。
また、現在の中国南方では山胡椒(山香)、楊桃藤など、複数の植物が季節ごとに使い分けられています。このことから分かるのは、 本質は「植物の種類」ではなく「繊維を安定させる機能」だという点です。したがって、遺跡で「黄蜀葵が使われた」と断定する場合も、本当にその植物なのか、それとも機能からの推定なのかを慎重に考える必要があります。
まとめ
今回の検討から、紙薬(ネリ)は 補助材料ではなく、 抄紙を成立させる中核技術である可能性が見えてきました。
この視点に立つと、和紙技術は日本だけの独自技術ではなく、 東アジア全体で共有された技術基盤の上に発展したものとして捉え直すことができます。 次回は、この議論をさらに広げ、東アジアの製紙技術の中で和紙をどのように位置づけるべきかを考えます。
【参考文献】
王意乐・刘金成・肖发标
「江西高安市华林造纸作坊遗址发掘简报」
『考古』2010年第8期
陳剛著「中国手漉竹紙製造技術」科学出版社東京

