『阿波国雁皮紙製造の発端』に見る「ニベの枝葉」の解明

/― 図像・工程・材料科学からの再検討 ―

『阿波国雁皮紙製造の発端』に見る「ニベの枝葉」の解明

― 図像・工程・材料科学からの再検討 ―

藤森 洋一 / Yoichi Fujimori

The Origins of Gampi Paper Production in Awa Province

序論

1.1 製紙用粘剤「ニベ」をめぐる従来理解

製紙用粘剤「ニベ」は、近代以降の和紙製造に関する文献において、しばしば特定の植物名を伴わない機能的呼称として扱われてきた。とりわけ、明治期以降に整備された製紙技術書や解説では、粘剤は黄蜀葵(トロロアオイ)を中心とする草本植物由来のものとして理解される傾向が強く、地域差や材料多様性についての検討は限定的であった。その結果、「ニベ」という語は、粘性を付与する材料一般を指す曖昧な用語として受け止められ、原史料における具体的な材料・処理工程・利用部位との対応関係は十分に検証されてこなかった。とくに、木本植物の樹皮を原料とする粘剤については、後世の理解の中で周縁化され、体系的な再検討の対象となることは少なかった。

1.2 問題の所在と研究課題

本研究では、史料本文・工程記述・図像情報を段階的に検討し、各章で得られる知見を積み重ねることで、従来「機能名」として理解されてきた「ニベ」が、特定の植物材料と結びついた技術概念であった可能性を検証する。したがって、以下の議論は当初から特定植物を前提とするものではなく、史料内部の整合性に基づいて徐々に比定を絞り込む構成を採る。

1.3 本研究の方法と構成

本研究では、第一に史料本文の精密な読解を行い、ニベに関する記述を工程全体の中で再構成した。第二に、史料中に掲載された「ニベ茎葉」図について、葉序・葉縁・葉脈・茎の木質性といった形態要素を抽出し、植物同定の観点から検討を行った。第三に、藍伷灰や蚌灰を用いた処理工程について、材料科学的知見に基づき、その化学的合理性を検証した。以上の三つの方法を統合することで、史料記述・図像・工程の相互整合性を確認する。本稿の構成は以下の通りである。第2章では史料の概要と研究対象を整理し、第3章および第4章で工程記述と材料分析を行う。第5章では図像分析に基づく植物同定を試み、第6章で阿波雁皮紙技術の特質と技術史的意義について考察し、最後に結語を述べる。

2史料の概要

2.1 『阿波国雁皮紙製造の発端』の成立と位置づけ

本史料『阿波国雁皮紙製造の発端』は、明治6年(1873)のウィーンの万国博覧会の参加に際し、明治政府は関連資料として和紙の出展に際して「造紙説」を表した。その下巻に雁皮紙の製造工程を描いた「阿波國 雁皮紙の製造の発端」があり文中に黄蜀葵でもなく糊空木らしき挿絵が「ニベ茎葉」と題された挿絵が掲載されているが、本文中で実際に利用される部位は一貫して「木ノ皮(樹皮)」と記されており、当該図は利用部位を示すものではなく、植物同定のための形態図であると解釈される。今回類似植物を列挙して同定を試みた。

2.2  史料構成と記述の特徴

まず初めに本資料の全体像を掴むために、現代語訳を試みた。小杉榲邨[1]の蔵書の一部として国立国会図書館(NDL)に収蔵されている原本を当図書館から複写を取り寄せ、分析検討を始めた。主に歴史、雁皮紙の種類、染色方法、漉き方、雁皮紙製造器機、その挿絵が簡素な文面でまとめられている。本史料に付された挿絵は、製造工程の補助説明にとどまらず、材料同定および工程理解を目的とした技術図像としての性格を有する。

2.3 関連する海外収蔵資料の概要(GMRC)

また、本文には製造された雁皮紙についての記載がないが、この当時の現物作品がGlasgow museumsにウィーンの万国博覧会に出展された工芸品が文物交換[2]されて保管されている。特に、本史料には雁皮紙の実物資料がないが、Glasgow museums Resource center(GMRC)に1878 Japanese Government Giftというカタログがあり、現物を見ることができる。また、2025年に当館を訪問してそのGiftの中から和紙に関する資料と雁皮紙を観察することができた。その中から本史料に関する物性項目をリスト化したものを表-1に示す。雁皮紙の風合い、色目など触感を含めた感覚的なものは言葉で言い表すのは非常に困難であるが、現在の阿波雁皮紙との違いに戸惑いを感じた。時代の変遷と捉えればそれまでであるが、先人の戒めも含めて再現への問いかけを得た。

本研究では、これらの海外収蔵資料を、史料記述の直接的証明ではなく、当時の雁皮紙の物性傾向を推測するための補助的比較資料として位置づける。

3.   史料読解

3.1 『阿波国雁皮紙製造の発端』現代語訳

阿波国      第五部

雁皮紙製造の発端

文化3年(1806)に、小原俊造[3]が雁皮紙の作り方を研究し、麻植郡川田村の住民である高尾熊七に教え込んで、はじめて当地で雁皮紙を漉かせた。

それ以後、作り方は代々受け継がれ、(高尾家の)孫の浅次の代には、いっそう技術が精緻になり他に製造するものはなかった。

品類

この雁皮紙一品だけを製造して、紙の色は浅赤、浅青、浅黄、浅緑、白色であった。

製造の主品

雁皮は堯花の属で木本で、年数を経ると3m余り(丈許)になる。俗に「ひぼ」と呼ぶ。形状は堯花に似て葉花共に肥大になる。この樹皮を剥ぎ、細いものは根皮共に用いる。その形状は図に示すので詳しくは記さない。

製造に用いる品類

蛤の灰(蚌灰)[4]、藍梗灰[5]、「ニベ」の木の樹皮の三品のみ。ニベの形状は図の通り。

彩色の品

淡い紅色のものは、上質の礬紅を八十目用いる。浅青は藍染紙を水に浸して解きほぐし七〜八百目用いる。浅黄は黄檗皮を一貫目用いる。浅緑は紺紙と黄檗皮を等分に五〜六百目を混ぜる。只、季節や気候に応じて加減するはその人の技量である。

雁皮紙の漉き方

乾燥した雁皮の黒皮(荒皮)五貫を一日の生産高と決めて、職人十名の役割を決める。

雁皮剥人    三人

洗人      三人

草打人     一人

漉人      一人

板着人     二人

給与は一日150銭であるが、職人の出来高により増減がある。およそ一日の生産は百三十枚から百七十枚を常とする。

五貫目の雁皮を一日水に浸しておき、黒皮(外皮)を削りとり置く。使用するときに数日流水に浸しアク(木液)を抜く。十二から十三貫目を一と釜に入れ、石灰(蚌灰)を一俵半余を入れる。蓋をして煮ること一時間余り、一晩留めおく。

翌朝籠に出し、流水に浸し石灰を流し去ること三日余り、水から揚げて草入れ桶に置く。

洗箱(洗舩)に水を溜め竹籠(筲)を入れてその中に少量づつ(雁皮を)入れてゴミを取り去る。

水を絞り叩き台の上に置き、草打槌で打叩く。水分が少なくなると水を加えて連続して叩く。(熟する)叩き終えたら止める。

さて(扨)ニベの生皮一日〔処理を施し〕、藍梗灰のアルカリ液で煮る。素早く取り出し篭に入れて流水に浸し、灰汁の無くなるのを確認してニベ桶に入れる。水を加えて浸しおけば、自然と粘液が溶出する。皮と共に篭に入れ小型の桶に濾して入れて置く(留む)。先に精製した紙草三貫目を一日の生産量と決めて六等分し、その内五百目を漉き舟に入れる。にない桶に三杯(三荷)あまりの水を入れ、馬鍬でしきりに攪拌して混ぜ、後にニベの解き汁を徐々に加えてなお(猶)混ぜる。よろしきを見計らい馬鍬を取り外す。

まさに漉きはじめようとする先に「草立て竹」を持って撹拌して、簀桁を準備し漉き始めるが、他の紙の漉き方とは異ならず。紙の出来上がりの状況をみて、落取木を平に(布)して、その上に置き、まず上桁を取り、紙の手元を簀と共に前に折り返し、紙床板の上に移し、直(ただち)に簀を剥がすことも他の製法と同じである。そのように繰り返して正確に積み重ねる。

一晩そのままに放置し水分の自然に落下するのを待って、押し台に乗せて圧搾すること半日余り。

折り返した一端より順次取り出して乾燥板(着板)に張るに鹿の毛の刷毛でゆるやかに撫で付け日に(曝シ)乾かし剥ぎ取りて、表裏上下を整え品種毎に応じた寸法に四方裁断して仕上げる。

もし、紙の両面の仕上がり具合が悪い場合(好マハ)には、板につけたまま半乾きの状態で山茶樹葉[6]で注意深く擦って刷り目を消して、直ちに裏返し板に貼りつけるが刷毛は用いずにその葉を用いて表裏細やか(細理ナカラン)に仕上げる。他に方法はない。紙の製造は熟練者でなければ薄紙を漉くのは難しい。厚紙も容易でない(漉易ンスルナリ)。

雁皮紙製造器機(以下略)

3.2 本史料中ニベに関する項目の解説

3.2.1 製造ニ用ル品類

本史料に記される蚌灰、藍伷灰(藍梗灰)、および草木灰は、いずれもアルカリ性材料であるが、その化学的性質および反応対象は大きく異なる。蚌灰は炭酸カルシウムを主成分とする石灰質アルカリであり、繊維の煮熟・脱膠に適する一方、藍梗灰は可溶性カリ塩を主成分とする草本系植物灰で、粘質多糖の溶出・分散制御に有効である。これらの性質差と工程上の役割を比較したものを表-6に示す。

3.2.2  蠣灰 藍梗灰 ニベノ木ノ皮 (p3) 

蠣灰(かきばい・かきがらばい)とは、牡蠣(かき)の殻を焼いて作った灰のことで、主成分は水酸化カルシウム(消石灰)や炭酸カルシウムを含み、漆喰の材料、土壌改良材(肥料)、藍染、焼物の釉薬(ゆうやく)、こんにゃく製造など、多岐にわたる用途で使われる天然素材です(表-6)。本史料では雁皮の煮熟に使われている。隣村穴吹町南張では楮の繊維に石灰をまぶして蒸す方法を取られていたと記録がある。蜂須賀公が入城した折、その紙を献上して伊賀紙を拝命したと言う。この石灰が当史料の蠣灰と同等と考えられないことはないが明確な記録はない。

藍梗灰:草本類の灰は樹木に比べて水溶性アルカリ成分を多く含む傾向があり、藍の茎の灰も比較的高い可溶性アルカリ性を示すことが知られている。ただし、そのアルカリ強度は蚌灰(石灰)ほど強烈ではなく、樹皮中の多糖類を損なわずに処理する点で、粘剤抽出工程に適した性質を有している。本史料では、ニベの生皮一日〔処理を施し〕、藍梗灰のアルカリ液で煮るとあります。藍の茎は蒅作りの時に葉と茎を分別して葉だけを使い、茎は廃棄されるのだが、藍作りの産地ならではの廃物利用に思えます。しかし、明治期以降には蠣灰や藍梗灰の使用はほとんど事例としては見聞きすることはない。

 ニベ:一般的に「ニベ」と言う呼称は植物名ではなく機能名(=粘りを出すもの)として使われてきた。上記本文の記述から、「木ノ皮」と特定して木本植物であり、これは草本(トロロアオイ)や蔓植物(美男葛)とは異なり(表-1)、樹皮利用型粘剤植物であることを示す。利用部位は「木ノ皮」=樹皮であることが明示されている。

3.2.3  唯三品ノミ ニベノ形状図ノ如シ

ここで重要なのは、「形状図ノ如シ」と明示し視覚的形態が同定根拠として用いられている点です。

3.2.4 処理工程としてのニベ(雁皮紙ヲ漉ク方法)

扨テニベノ生皮一日(4文字不明)テ藍梗灰汁[7]ヲ以テ煮ルヲ暫時ニ取出(3文字不明)篭ニ入テ流水ニ浸シ灰汁ノ盡ルヲ待テニベ桶ニ入水ヲ加ヘテ浸シ置ハ粘液自ラ出テ云々(p6)

観察点内容
葉序対生
葉形卵形〜広楕円形
葉縁鋸歯あり
葉脈羽状脈が明瞭
木質・直立性
全体灌木状
表−4 「ニベ茎葉」図の形態的特徴

(現代語訳)ニベの樹皮は、まず一日〔処理を施し〕、藍梗灰の灰汁で煮る。

しばらくして取り出し、籠に入れて流水に浸し、灰汁分が完全に抜けるのを待つ。

その後、ニベ桶に入れて水を加え浸しておくと、粘液が自然に滲み出てくる。

「生皮一日【欠字】テ」原本では「一日干テ」又は「一日置テ」等の可能性あり。いずれも生皮(剥皮直後)を一旦放置・予備処理する工程灰汁煮前の物理的・酵素的前処理として整合的です。これは現在にノリウツギを処理する上で行われている。

「藍梗灰汁ヲ以テ煮ル」「以テ煮ル」=加熱煮熟工程「藍梗灰汁」=藍茎灰由来の炭酸カリウム主体のアルカリ液でアルカリ煮熟 → 樹皮多糖の溶出促進という化学的解釈が成立する。

「流水ニ浸シ灰汁ノ盡ルヲ待テ」:灰汁(アルカリ)を完全に除去するまで流水にて晒し、これはアルカリ分解の停止をして、色素・フェノール類の除去を同時に狙った操作と考えられる。

「粘液自ラ出テ」:外力を加えず水浸のみで粘液が滲出する工程を示しており、叩解抽出型の粘剤とは工程上異なる。

3.2.5 本史料に掲載されている「ニベ茎葉」図には、植物同定に資する形態情報が意図的に描写されている。本資料に掲載されている挿絵から観察される形態的特徴は、表-4の通りである。

4考察:阿波雁皮紙技術の特質と位置づけ

史料には「ニベノ形状 図ノ如シ」とあり、ニベについて茎葉図が付されている。これは、ニベが地方的通称であり、誤同定を避けるため形態情報を明示する必要があったことを示唆する。

本史料は、阿波における雁皮紙製造が、蠣灰・藍梗灰といった灰系材料と、ニベ(樹皮由来粘液)を併用する複線的技術体系であったことを示す一次史料である。とくに、木本樹皮由来の冷水抽出型ネリの存在は、後世に一般化する黄蜀葵中心の理解を再考させる重要な知見である。

 4.1 挿絵の「ニベ茎葉」という語の意味解釈(用語論)

図1に示した「ニベ茎葉」図は、ニベの利用部位を示すための図ではなく、植物種を識別することを目的として、茎および葉の形態的特徴を提示した同定用図像である。

4.2 木本樹皮由来粘剤の意義

『阿波国雁皮紙製造の発端』は、単なる地方技術記録ではなく、明治初期における国家的技術調査の一環として編纂された準一次史料である。本史料の特徴は、

①製造工程を文章と図像の双方で示している点

②原材料について「形状図ノ如シ」と明示し、誤同定の回避を意図している点

③雁皮紙の品質・色彩・寸法を具体的に示す海外収蔵資料と接続可能である点にある。

 4.3黄蜀葵中心史観の再検討

 図像を伴って提示している事例は極めて稀であり、これは後世の文献において「ニベ=黄蜀葵」と単純化されていく理解とは異なる、より多様な技術体系の存在を示唆している。

4.4東アジア技術史的文脈

本史料に見られる「木本樹皮由来・滲出型粘剤」は、日本国内では近代以降急速に失われたが、東アジア全体で見ると必ずしも例外的ではない。中国南部の一部地域では、現在でも竹紙製造において、樹皮や枝皮由来の粘剤が実用されており、東南アジアではその技術が継承されている事例が確認される。

この点から、本史料に記された阿波のニベ技術は、日本固有というより、東アジア紙文化圏に共有されていた技術レパートリーの一端と位置づけることができる。

5今後の課題(Future Research Directions

本研究は、「ニベ」をノリウツギ類(Hydrangea属)に比定する強い蓋然性を示したが、以下の課題が残されている。

  1. 決定形質の不足
     花序・果実・冬芽などが図示されていないため、種レベルでの確定は今後の課題である。
  2. 実験的復元の必要性
     史料に基づく工程を再現し、得られる粘度・分散性・紙質への影響を定量的に測定する必要がある。
  3. 海外収蔵資料との連動研究
     Glasgow Museums Resource Centre(GMRC)所蔵の雁皮紙実物と、史料記述との物性比較(坪量・繊維分散・表面性)を行うことで、史料の実証性はさらに高まる。

6結語(Conclusion

本研究は、明治初期の史料『阿波国雁皮紙製造の発端』を対象に、同史料に記される製紙用粘剤「ニベ」の実体について、史料読解、図像形態分析、および工程の材料科学的検討を統合して再検討した。その結果、ニベは単なる機能的呼称ではなく、木本植物の樹皮を原料とし、藍伷灰によるアルカリ処理と流水晒しを経て粘液を得る樹皮由来粘剤である可能性が高いことを示した。以上の分析を総合すると、「ニベ」は木本植物の樹皮を原料とする粘剤であり、その形態および処理工程は、現存する製紙用粘剤植物のうちノリウツギ類(Hydrangea属)と最も高い整合性を示す。

本史料は、阿波雁皮紙製造における多様で合理的な工程設計を示す稀少な記録であり、今後、史料に基づく工程復元や海外収蔵資料との物性比較を進めることで、その技術的特質をより実証的に解明できると考えられる。

本研究は、こうした史料と現存資料を基盤として、阿波雁皮紙製造技術の多様性と高度な工程管理の実態を明らかにした点に意義がある。今後、史料に基づく工程復元や、現存雁皮紙の物性分析を進めることで、阿波和紙の技術的特質とその歴史的位置づけを、より立体的に解明することが可能になると考えられる。

以上を踏まえると、本史料と同時期に製造された雁皮紙が海外に現存する点は、文化財指定制度の枠外にありながらも、日本の製紙技術史を実証的に検討する上で極めて重要であり、海外所在日本関連資料として今後の重点的調査が望まれる。

方法論的補遺(Methodological Appendix

本研究は、以下の三つの方法論を組み合わせて進めた。

第一に、文献史料の精密読解である。
 『阿波国雁皮紙製造の発端』原本(国立国会図書館所蔵)について、欠字・異体字・用語揺れを含め、工程記述を逐語的に再構成し、現代語訳を行った。とくに「ニベ」に関わる記述については、単語レベルでの意味確定ではなく、工程全体における機能的位置づけを重視した。

第二に、図像史料の形態学的分析である。
 本文中に示される「ニベ茎葉」図について、葉序・葉縁・葉脈・茎の木質性といった形態要素を抽出し、既知の製紙用粘剤植物(草本・木本)との比較を行った。これは、江戸〜明治期の本草図譜・産業技術図に共通する「利用部位とは別に、同定用として全体形態を示す」[8]という図示慣行を踏まえた分析である。

第三に、工程科学的(化学的)整合性の検証である。
 藍梗灰によるアルカリ煮熟、流水晒し、水浸による粘液自発滲出という工程を、現代の多糖抽出・アルカリ処理の知見に照らして検討し、各工程が粘剤抽出として合理的であるかを検証した。

これら三点を総合することで、史料記述・図像・工程の三者が相互に整合する植物比定を試みた。

ニベの木の枝葉

(利用部位を示す図ではなく、植物種の識別を目的として描かれた形態図)

『阿波国雁皮紙製造の発端』よりニベ茎葉図(「阿波国雁皮紙製造の発端」より

    ノリウツギの葉

ノリウツギ/ 糊空木
ノリウツギ

(森づくりの技術   https://silviculturetech.com/species/noriutsugi/)

  

【参考文献】

『阿波国雁皮紙製造の発端』The Origins of Gampi Paper Production in Awa Province,”

「和紙の道しるべ」町田誠之著

「最新和紙手漉法」中島今吉著

「和紙製造論」西健男著

「和紙」加藤晴治著(昭和33年発行、産業図書株式会社)

「支那製紙業」關彪(昭和9年発行)編纂

「紙漉村旅日記定版、寿岳文章・しづ著

「和紙 多彩な用途と美」久米康生著

『天工開物』(明代・中国)

農業化学会編『植物灰の化学』

日本化学会編『化学便覧 基礎編』

候補植物利用部位抽出方法史料記述との整合
葵黄蜀打解抽出x(木の皮と不一致)
美男葛圧搾x(灰汁煮不一致)
ニレ類樹皮水浸△(図解不一致)
ノリウツギ樹皮灰汁煮+水浸
表−1粘性植物比較
根 拠内  容
木ノ皮利用ノリウツギは樹皮から粘剤を得る
灰汁煮工程ノリウツギ処理法と一致
流水晒樹皮系粘剤の標準工程
粘液自発滲出Hydrangea属樹皮の特性
図像形態対生・鋸歯・木質枝=Hydrangea属
表−2
Place MadeMeasurementsg/m2Maker
1878.169.ji.1
Sheet of gampishi 
(smooth thin paper), pink ,from JapanKochi prefecture (place of manufact)overall:518mmx710mm 8.5g23.11g/m2T.T
1878.169.ji.2
Sheet of gampishi 
(smooth thin paper), blue ,from Japanoverall:715mmx518mm 9.5g25.65g/m2T.T
1878.169.ji.3
Sheet of gampishi 
(smooth thin paper), white,from Japanoverall:520mmx717mm 11.5g30.84g/m2T.T
1878.169.ji.4
Sheet of gampishi 
(smooth thin paper), yellow ,from Japanoverall:518mmx715mm 8.5g22.95g/m2T.T
1878.169.ji.5
Sheet of gampishi 
(smooth thin paper), green ,from Japanoverall:520mmx710mm 8g21.67g/m2T.T
1878.169.ji.6
Sheet of gampishi 
(smooth thin paper), pink ,from Japanvoverall:518mmx700mm 10.5g29.41g/m2H.T
1878.169.ji.7
Sheet of gampishi 
(smooth thin paper), yellow ,from Japanoverall:512mmx697mm 10g28.02g/m2H.T
1878.169.ji.8
Sheet of gampishi 
(smooth thin paper), blue ,from Japanoverall:520mmx697mm 8g22.07g/m2H.T
1878.169.ji.9
Sheet of gampishi 
(smooth thin paper), green ,from Japanoverall:518mmx698mm 9g24.73g/m2H.T
1878.169.ji.10
Sheet of gampishi 
(smooth thin paper), white ,from Japanoverall:520mmx700mm 11.5g31.59g/m2H.T
表-5 Glasgow museums調査資料、阿波に関する項目だけを抜粋、
本資料の浅赤はpink、浅青はblue、浅黄はyellow、浅緑はgreen、純白はwhiteの五色に該当する。Kochi prefecture は明治維新後高知県に属した時期があった。Maker,H.Hは高尾高三郎、H.Tは原田虎蔵、2025.5.20 訪問 和紙の調査意見交換
https://collections.glasgowmuseums.com/mwebcgi/mweb?request=home
項 目藍梗灰(藍茎灰)蚌灰(牡蠣殻灰)木灰(草木灰)
原料藍(Persicaria tinctoria 等)の茎・茎葉残渣¹牡蠣殻(炭酸カルシウム主体)²広葉樹・針葉樹などの木材³
灰の分類草本系植物灰¹貝殻灰(鉱物系)²木質系植物灰³
主アルカリ成分可溶性K塩(K₂CO₃主体)と推定¹⁴CaO / Ca(OH)₂²⁵K₂CO₃ + CaCO₃³
水溶性高い(灰汁として抽出容易)¹⁴低〜中(懸濁・水和)²⁵中(抽出可能だが不溶残渣あり)³
pH(抽出液)約11–12(草本灰一般値)⁴⁶約12–13(消石灰水)⁵約10–12³
主な反応対象多糖類・粘質物(ペクチン等)¹⁴植物繊維(脱膠・精練)²⁵繊維・染料³
技術的役割粘剤抽出・分散制御¹繊維の煮熟・不純物除去²染色・pH調整³
史料上の使用動詞煮ル」「浸シ置ク」「粘液出ル」⁷「煮ル」⁷建テル」「調整ス」⁸
表-6 藍梗灰・蚌灰・木灰の化学的性質と用途比較

灰の種類抽出形態アルカリの性質主な反応対象技術的効果
藍梗灰灰汁(上澄み液)可溶性K系アルカリ¹⁴多糖類・粘質物粘液溶出促進・分散安定
蚌灰灰懸濁液/石灰水Ca系強アルカリ²⁵繊維中の膠質・タンニン脱膠・精練・白度向上
木灰灰汁+固形分K+Ca混合³繊維・染料pH調整・補助反応
表−7 pH・溶解性・反応対象の対応関係(工程理解用)

脚注(出典明示)

1.草本植物灰は可溶性カリ塩(potash)を主成分とし、灰汁として利用可能であることが古典的に知られる。→ 農業化学・工芸化学の一般論:植物灰=K₂CO₃主体。

2.牡蠣殻の主成分は炭酸カルシウム(CaCO₃)であり、焼成により酸化カルシウム(CaO)を生じ、水和して水酸化カルシウム(Ca(OH)₂)となる。

3.木灰はK₂CO₃とCaCO₃を含む混合系灰であり、含有率は樹種・燃焼条件により変動する。

4.蕎麦殻灰など草本系灰はK含有率が高く、強アルカリ性灰汁を与える例が報告されている。

5.石灰水(Ca(OH)₂水溶液)はpH 12以上を示す。

6.草本灰抽出液のpHは概ね11–12の範囲を示すことが多い(材料・抽出条件による)。

7.『阿波国雁皮紙製造の発端』本文に見られる工程用語。

8.藍染技法における「灰汁建て」「灰建て」等の表現に基づく。

[1] (こすぎ すぎむら、天保5年12月30日1835年1月28日) - 明治43年(1910年3月29日)は、国学者阿波国(現徳島県)出身。Wikipedia

[2] 1878 Japanese Government Gift

[3] 人物不明

[4] 蚌灰は牡蠣殻を焼成して得られる灰であり、主成分は炭酸カルシウムである。高温焼成によって一部は酸化カルシウムとなり、水和により水酸化カルシウムを生じるため、強いアルカリ性を示す。これは可溶性カリ塩を主成分とする草木灰や藍梗灰とは性質を異にし、繊維の煮熟・脱膠を目的とした処理に適したアルカリ源である。

[5] 植物灰のアルカリ強度は原料植物により異なり、一般に蕎麦殻灰や藁灰は水溶性カリウム塩に富み、強い灰汁を生じる。一方、草木灰はカルシウム成分が主体で可溶性アルカリは相対的に少ない。藍梗灰は草本植物由来の灰として中程度の可溶性アルカリを含み、樹皮処理に適した穏やかなアルカリ源として位置づけられる。

[6] 学名を Camellia sinensis といい、ツバキ科ツバキ属の常緑低木です。同じ目的で椿の葉を用います。

[7]

[8] 江戸期の植物図鑑『花彙』では、葉の表裏を描き分ける工夫が明示されており、利用部位の提示に限らず同定に必要な形態情報を図示する姿勢が確認できる。国立公文書館

また『本草図譜』の図解では、実の形態差を示すために図を分けて描くなど、識別に資する特徴の提示が行われている。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です